今朝の静岡新聞の社説で、障害者差別解消法をとりあげていました。
記事によると、「障害者への差別・偏見がある」とする人は
世論調査(2012年)では9割にのぼったそうです。
このブログでも、何度かふれたことがありますが、
(これなど⇒
障害者差別解消法)
最近「差別解消法」について見聞きする機会がぐっと増えました。
この法律にからめて、歩道や段差などの物理的な整備について考える時
いつも思い出すエピソードがあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
若い頃、北欧のある国に数年間暮らしていたことがあります。
住み始めて2年目くらいに、中南米にいる学生時代の友人(日本人)が遊びにきました。
数日滞在した彼女曰く
「この国って、障がい者が多いな~って、初日は思ったの。
車いすの人がいっぱいいたからさ。
でも、よく見たら車いすの人が行動しやすい街作りになってるから
外出しやすいってことなんだね。
私の今住んでる国なんて、車いすの人はなかなか外に出られないもん。」
確かに言われてみれば、街中で車いすの人は普通に溶け込んでいます。
友人はJICA職員なので、社会を観察する視点に、
(ボケッとしている)私とは差があるのだと思います。
それでも、私自身が車いすの人をショッピングモールやスーパーなどの街中で
見かけることに、何の違和感も感じていなかったことに気づきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「心のバリアフリー」というフレーズがあります。
意識上の心の障壁を解消しようという考えです。
心のバリアフリーを目指すには、1人1人の意識を変えようする
啓発活動のような働きかけも大切ですが、
道路や建物などのハード面での構造を変えて、
障がいのある方が生活しやすい環境を整えることが
まずは大切なような気がします。
障がいのある方もない方も共に、「普通に」暮らしていける構造が
健常の方の意識の変化ももたらすのではないかなぁ、なんて思います。
禅や森田療法(心理療法)の言葉に
「外相整えば、内相おのずから熟す」というものがあります。
「物理的な条件が整えば、心も整う」ということです。
森田療法的な解釈では
「しぶしぶでも行動していれば、気持ちもあとからついてくる」という考えです。
差別解消法が施行されて、物理的な障壁が取り除かれ、
具体的な差別行為を禁ずるようになれば、
障がいを持つ方の行動範囲や活躍の場も広がり、
障がいを持たない方の意識も変わっていくのではないかと期待しています。
心のバリアフリーをもたらすには、心じゃない部分のバリアフリーが不可欠だと思います。